そして言った、 「わたしは裸で母の胎を出た。 また裸でかしこに帰ろう。 主が与え、主が取られたのだ。 主のみ名はほむべきかな」。
彼は母の胎から出てきたように、すなわち裸で出てきたように帰って行く。彼はその労苦によって得た何物をもその手に携え行くことができない。
わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ持たないでこの世を去って行く。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
あらゆる良い贈り物、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下って来る。父には、変化とか回転の影とかいうものはない。
しかしヨブは彼女に言った、「あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった。
そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、
わたしは光をつくり、また暗きを創造し、 繁栄をつくり、またわざわいを創造する。 わたしは主である、 すべてこれらの事をなす者である。
彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、 その栄えも彼に従って下って行くことは ないからである。
主は貧しくし、また富ませ、 低くし、また高くされる。
災もさいわいも、 いと高き者の口から出るではないか。
ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。
あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、 あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。
自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
わたしは黙して口を開きません。 あなたがそれをなされたからです。
み手とみ旨とによって、あらかじめ定められていたことを、なし遂げたのです。
ヤコブを奪わせた者はだれか。 かすめる者にイスラエルをわたした者はだれか。 これは主ではないか。 われわれは主にむかって罪を犯し、 その道に歩むことを好まず、 またその教に従うことを好まなかった。
わたしは常に主をほめまつる。 そのさんびはわたしの口に絶えない。
しかし今あなたの手を伸べて、彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたをのろうでしょう」。
そこでサムエルは、その事をことごとく話して、何も彼に隠さなかった。エリは言った、「それは主である。どうぞ主が、良いと思うことを行われるように」。
しかしわたしをここに売ったのを嘆くことも、悔むこともいりません。神は命を救うために、あなたがたよりさきにわたしをつかわされたのです。
町でラッパが鳴ったなら、 民は驚かないだろうか。 主がなされるのでなければ、 町に災が起るだろうか。
それゆえ、東で主をあがめ、 海沿いの国々でイスラエルの神、主の名をあがめよ。
また神はすべての人に富と宝と、それを楽しむ力を与え、またその分を取らせ、その労苦によって楽しみを得させられる。これが神の賜物である。
ヒゼキヤはイザヤに言った、「あなたが言われた主の言葉は結構です」。彼は「せめて自分が世にあるあいだ、平和と安全があれば良いことではなかろうか」と思ったからである。
このように王は民の言うことを聞きいれなかった。これはかつて主がシロびとアヒヤによって、ネバテの子ヤラベアムに言われた言葉を成就するために、主が仕向けられた事であった。
主はわたしの悩みを顧みてくださるかもしれない。また主はきょう彼ののろいにかえて、わたしに善を報いてくださるかも知れない」。
ヤコブはラケルに向かい怒って言った、「あなたの胎に子どもをやどらせないのは神です。わたしが神に代ることができようか」。
忍び抜いた人たちはさいわいであると、わたしたちは思う。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いている。また、主が彼になさったことの結末を見て、主がいかに慈愛とあわれみとに富んだかたであるかが、わかるはずである。
わたしは出て行くときは豊かでありましたが、主はわたしをから手で帰されました。主がわたしを悩まし、全能者がわたしに災をくだされたのに、どうしてわたしをナオミと呼ぶのですか」。
貧しい者を、ちりのなかから立ちあがらせ、 乏しい者を、あくたのなかから引き上げて、 王侯と共にすわらせ、 栄誉の位を継がせられる。 地の柱は主のものであって、 その柱の上に、世界をすえられたからである。
それからまたエシュア、カデミエル、バニ、ハシャブニヤ、セレビヤ、ホデヤ、セバニヤ、ペタヒヤなどのレビびとは言った、「立ちあがって永遠から永遠にいますあなたがたの神、主をほめなさい。あなたの尊いみ名はほむべきかな。これはすべての祝福とさんびを越えるものです」。
見よ、彼が奪い去られるのに、 だれが彼をはばむことができるか。 だれが彼にむかって『あなたは何をするのか』と 言うことができるか。
わが魂は主によって誇る。 苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。
またその富は不幸な出来事によってうせ行くことである。それで、その人が子をもうけても、彼の手には何も残らない。